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2018年6月 9日 (土)

昔も怖い監督がいたが、暖かかった」

「昔も怖い監督がいたが、暖かかった」
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高田繁(ベイスターズGM)、御大・島岡監督のおそろしさに「こんなはずでは…」(産経スポーツ)
怖さでは右に出るものがいなかったという島岡監督(右)。高田は「御大」から多くのことを学んだ
 大変なところに来てしまったと思ったよ。1964年春、明大野球部に入部したばかりの私は、その光景に凍り付いた。練習試合でミスをした4年生が、鬼のような形相の監督に怒られてね。
 「お前、野球を続けたいか!」
 「はい!」
 「よし、前へ出ろ!」
 こんなやりとりの後、直立不動の先輩をガツンと殴る。
 実は入学するまで、名物監督、島岡吉郎さんのことは、全く知らなかったんだ。野球部に入って、初めて「御大」のおそろしさを実感させられた。正直、こんなはずではって感じだね。
 明大に進んだのは、大学でプレーするならどうしても神宮で、東京六大学でやりたかったから。当時、テレビもラジオも中継していた六大学は、あこがれだった。明大に決めたのは、浪商から明大へ進み、阪急(現オリックス)の二塁手として活躍した2学年上の住友平さんが熱心に誘ってくれたからなんだ。
 私は6人兄弟の下から2番目で、父親は普通のサラリーマン。経済的にも苦しく、「(授業料の免除がある)関西の大学へ行ったらどうだ」と言われていた。お金がかかるのは分かっていたけど、「頼むから明治に行かせてくれ」と頭を下げ、最終的には母親が父親を説得してくれた。
両親に感謝し、やってやろうと覚悟を決めての入部だったが、まあ、おそろしいのなんのって。私もミスはしたが要領がよかったのか、卒業するまで一度も殴られなかった数少ない選手といわれている。そんな私でも怖かったんだから。巨人の川上哲治監督は威厳のある人だったけど、怖さでは島岡さんの右に出る人はいないと思う。
 でも、第一印象は怖いだけの人から、社会人として大切なことをたくさん学ぶことになるんだからね。島岡さんは野球については「何とかせえ」。技術的なことは、ほとんど教えてもらわなかった。試合で負けると雷が落ちた。でも勝てば、ものすごく喜んでくれた。だから、選手もついていけたんだね。
 怒るのも、殴るのも上級生。トイレ掃除は主将が1人でやらされた。もちろん、主将だった4年の時、私もやったよ。風呂も上級生が率先して掃除する。御大も自分のものは自分で洗濯していたからね。その姿を見た下級生が、感じないわけはない。そういう教育の仕方なんだ。だから明大では、上級生が下級生をあごでこき使うなんてことは一切なかった。布団をしまうときは角をきっちりと。スリッパは向きを合わせて並べる。食べ物を粗末にするな。常識といえば常識だけど、それが今も身に染みついている。
 指導者になってから、よく分かった。上の者が率先してやるということが大事だと。人生において、大いに役に立ったよ。
(島岡さんは長野県出身、日大豊山高卒、明治大では野球部ではなく応援団、証券マンを経て、明治高校監督=甲子園出場3回、他の大学の選手にはとても優しい方でした。部員同様に合宿所で暮らしていらっしゃいました
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