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2012年6月 6日 (水)

ディーラーになる確率は0.4%

「ディーラーになる確率は0.4%」

*今や万人がディーラーであり、予想屋でありアナリストの時代である。いろいろな意見が聞けるのは楽しい

*プラザ合意頃は、戦前は世界の三大為替銀行と言われた外為専門の東京銀行でさえも、ポジションを持つディーラーは世界では20人から30人程度ではなかったか、本店で5人、NYやロンドンでも3人程度、LA、フランクフルト、香港、シンガポール、シドニー、バーレーンでも1人か2人、合計して20人から30人程度ではなかったか。

*東京銀行の行員が6000人程度であったので行員の0.4%しかいなかった。もちろんアシスタントやカスタマーディーラーはもっと多くいたが彼らはポジションは持たない。銀行員でない方で為替のポジションを持っている人はさらに希少であった。

*ディーラー以外の人や一般の人が外国為替をやるとなると外貨預金や外貨MMFでやるしかなかった。外貨預金なら手数料をとられるのでドル円で2円、ポンド円で8円、ランド円で6円抜いて漸く収益ゼロのスタート地点に立てるのであった

*個人ばかりでなく企業からも、かなり手数料をとっていた時代。商社など主要参加者でも1銭から5銭とっていた。一般企業なら30銭いや80銭程度とられていたところもあった。それでもTTS、TTBよりは優遇していた。

*為替を売買していたのはごく限られていた人種。しかしディーラーになる競争が激しかったというとそうでもない。たまたま「やれ!」と命じられたからやっていた方々が多かったのではないか。熱望してディーラーになったわけではない。

*私の場合も体がでかく、丈夫そうなのでディーラーを命じられたようだ

*かなり密室の仕事であったが、1998年に一気に白日の下にさらされることとなった。万人がディーラーになれる楽しいい時代。

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