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2010年7月28日 (水)

河村社長のディーラー烈士伝で紹介されました

「河村社長のディーラー烈士伝で紹介されました」

*セントラル短資証券社長の為替ディーラー烈士伝で私のことを紹介して頂きました。河村社長は東銀で駆け出しの為替ディーラーをやっていたころの上司でした。為替取引だけでなく生き方も教えて頂きました。東京の恩師です。NYの恩師は若林栄四さん。違った意味でどちらも厳しい方々でした。

*私は知力より勘と体力で生きていたので東銀より外銀が合ったかもしれません。

*文中にあるプラザ合意当時の休日出勤でドルを売ったり、日銀課長がドル売りの協力を依頼してきたことは、「1000日の譲歩」、塩田潮、新潮社にも詳しく書かれています。

*「ウィッシュ」の御爺さんである竹下大蔵大臣が秘密裡にNYプラザホテルへ向かうために、成田でゴルフをハーフやってから出発したエピソードも書かれています。

 以下はディーラー烈士伝の記事です。http://foorex.com/

良いディーラーは良いプライスを出さない?

 ロンドンで為替を始めたときに、吉澤建治さん(後の副頭取)から受けた訓辞は今でも忘れない。「ディーラーになってはいけない」と、まずディーラーを否定された。最高学府を出て政治・経済というのはある程度わかっていたうえで、ディーリングをやるのだから、そこだけをものすごくマニアックに追及する、いわゆる為替バカになってしまってはいけない、もっと大所高所からものを見ろという意味だった。

東銀においてはとにかく儲ければいいだけではなくて、さすが東銀だというふうに評価されるような意識を常に持てとも教育されている。必ずしもプライスだけでなくて、市場慣行委員会などでちゃんとしたオピニオンを述べることも含まれる。また、お客に対しても損をさせてはいけない。つまり、東銀に行ったらこんなプライスしかくれないというのはだめだということだ。

お客さんに、常に良いプライスを出そうとするのは、難しいところで、為替のセンスがあるディーラーはときとして良いプライスを出さない。例えば、商社が買いたいからプライスをくれと言ってきたとすると、お客がちゃんと買えるような良いプライスは出す。

だが、両サイド出してくれと言われると、これは、もう買いにきているに決まっているからと絶対にプライスを打たれないように寄せてしまう。プロを自認するお客にプライスを打たせるのを恥だと思っているからだ。当時はまだ手数料が少しもらえたから、お客の注文をマーケットでカバーすれば十分取れるわけなのに、彼らはそれをやらない。

このようなディーラー的発想の強い人は、東銀の中では余り評価されず、従って待遇面だけでなくて、もっと自分の能力を活かせる会社を求める人も少なくなかった。私の知っている限り、一番典型的なのは野村雅道くんだ。彼は非常に優れたディーラーであって、彼の能力は外銀でこそ発揮することができたのだと思う

■サラリーマンだから続けられた

 三井物産の福間年勝さんから、東銀の為替の連中は、金太郎飴だと評されてハッとしたこともある。特にスターディーラーもいないし、さりとて話にならない人間もいない、だいたい皆言っていることややっていることは同じだと見えるらしい。

行内だと、皆とても個性的なのに、外から見るとそうなのだ。どこを切っても誰がやってもコンスタントに同じ東銀の顔が出てくるそういう教育を知らない間に受けたし、我々もそういう教育を部下にしてきたのだろう。

しかし、私が為替を続けて来られたのは、サラリーマンディーラーだったからだと思っている。無理をせずに、自分のキャパシティに合わせて、これだけ我慢できるとか、これだけ損してもいいとか、これだけ儲ければいいとかいうことを守ってきた。プロのディーラーと違って、我々は良い成績挙げたとしても、別に給料が増えるわけではないし、損をしてもクビになるわけでもない。となれば、そんな無理してまで、やらなくたっていいじゃないかということになる。

だから、退路を断って、ディーリングをしているプロのディーラー方を前にして、とても「私はディーラーでした」などと胸は張れない。

自分が外銀に移らなかったのは一からマメに努力して儲かる体制を整える自信がなかったからだ。為替で儲けるためには、それなりの体制(仕掛け)が必要になってくる。個々の相場というのは、自分のフィーリングでやるしかないけれど、儲かるような体制にしておくのは最も大事なことだ。

つまり、組織、人材、お客、当局パイプ、交友関係など、周囲を固めて情報がちゃんと入ってくる、また自分がやりたいことがすぐできるような環境にしておかないと、儲からない。東銀では、その土台(看板)となるものは既にある程度でき上がっていた。

為替をやってきて良かったのは、経済合理性がよくわかっていると物事に対して瞬間的、直感的な判断に結び付けられるということだ。為替バカにはならないと思いつつ、東銀ではほぼ為替畑一本で通ってしまったが、結局為替で積んだ経験は全てに活きている。おかげでサラリーマンディーラーからサラリーマン社長になり、ロンドンのバンク・オブ・トウキョウ・キャピタルマーケッツ(証券)以来、通算18年、まずまず快適に過ごしている。

(全編終了)

野村雅道と楽しい投資仲間達おすすめFX会社

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