相場のことは高島町へ、為替悠々201
「相場のことは高島町へ、為替悠々201」
為替相場は難しい。ファンダメンタルズ分析では儲からない。需給は重要だが見えにくい。チャートを研究するが種類が多すぎる。神頼みになる。占いに凝る。(レーガン大統領もキクリー女史に占星術から政策の知恵を授けてもらっていたという聞いて私も本を読んだが役に立たなかった。)
為替相場は横浜開港とともに始まったが、占いも横浜で始まった。今もその名前が地名に残る高島嘉右衛門は実業界から身を引くと易学に専念した。1886年(明治19年)に「高島易断」を著した。伊藤博文の暗殺を予言し伊藤に進言もしたと言う。 株の相場でも高島暦がありそれを市場が異なるのに為替に当てはめると案外当ってた時期があったので為替ディーラーも使い始めていた。高島暦市場版はどこの書店にも置いてあるわけではなかったので数少ない販売店の一つ新橋駅前の墓石屋さんには突然注文が殺到した。私も海外支店からの要望もあり20冊を一度に購入に訪れたが店員の方も「最近なんでこんなに売れるのでしょう。」と不思議がっていたようだ。 その高島嘉右衛門は日本発の鉄道(横浜―新橋)の建設にあたり入り江であった今の高島町を埋め立てたり、日本初のガス灯を横浜に設置し手腕を発揮した。青木橋北あたりの高島山公園には記念碑が残る。 またホテル業も起こし明治の女フィクサー富貴楼「お倉」のライバルの「高島屋」を設立した。(そのお倉も横浜で活況を呈した生糸相場の天下の生糸相場師「糸兵」に指南したと言われている。)
なお現在高島易断を名乗る占い師は多いが直接の弟子はいないそうだ。占い師は中国4千年の歴史と説くが明治時代の「高島易断」を占いの種本としているに過ぎない。たまには相場占いの原点「高島町」(MM線新高島駅)でも訪ね東神奈川からベイブリッジへかけての海や、橋の下の「タマちゃん」が住んでいた帷子川を見やれば 何か相場でモヤモヤしていたものがふっきれるイメージが湧くかもしれない。
| 固定リンク
「黄昏」カテゴリの記事
- 黄昏2、赤レンガ倉庫、ユネスコ賞(2010.10.07)
- 横浜黄昏、強気のフラッグ(2010.10.05)
- 横浜大丈夫かその3(2010.10.01)
- 横浜大丈夫かその2(2010.10.01)
- 横浜大丈夫かその1(2010.10.01)
コメント