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2010年6月 3日 (木)

アルゼンチン財務官 イン 歌舞伎町その1、為替悠々204 

「アルゼンチン財務官 イン 歌舞伎町その1、為替悠々204 」

タタタ、トトト、ハッハッハ
初老の人々がのそっと歩く私を追い抜いて会場に駆け込んでいく。新宿の場末の公会堂で罵声が聞こえる。「声が小さい」 「泥棒だ、金返せ」 老人が叫ぶ。(通訳はどのようにスペイン語に訳しているのだろう)――皆様喜んでニールセン財務官を歓迎していますーと訳したら北朝鮮だ。

今回はアルゼンチンの話である。私はここ10年パリに行くほどは新宿には行かなかった。3月12日、10年振りで新宿を訪れた。新宿のはずれで歌舞伎町の喧騒はどこに行ったかと思うほど静かな下町の雰囲気のある公会堂が熱気に包まれた。 縁あってアルゼンチンサムライ債の債権者会議に招待を受けた。一階席はごったがえしていたので二階席から参加した。階下を見下ろすとやはり初老の人で正しいようだ。半分以上がテカテカとしたオツムである。1000人以上の出席者。 どのような人がこの債券を購入しているか興味があったが、まあ平日参加できる人は自営業者と老人なのであろう。なけなしのお金なのか、それとも余裕資金なのか、年金なのかわからない。

アルゼンチン金融局次長ニールセン氏の外人には珍しく全面的謝罪から始まった。言い遅れたがアルゼンチン債務返済遅延のための債権者会議である。1時間ほど経済情勢の説明があった。

1991年の兌換法(ドルと1対1のペッグ)で外資が進出しインフレも抑えられ世界から信頼された。しかしドル高、メキシコ危機で周辺諸国に輸出が奪われ大不況となった。対外債務が増え続け、経常赤字を財政収支でまかなえなくなった。 増税したら リセッションとなった。州政府の財政も悪化した。 カントリーリスクが悪化し金を借りられなくなった。金利を上げて資本流入を図ったが国民自身がペソからドルにドンドン転換した。預金を凍結しペソを切り下げたら大インフレとなった。現在金がない。公共支出を抑えている。(続く)

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