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2010年3月15日 (月)

為替悠々100、戦前の介入5、永井荷風

「為替悠々100、戦前の介入5、永井荷風」

いつの間にか100話目になりました。とりとめもない日記のようなものです

横浜正金銀行は「日本銀行ハ内国ヲ経理シテ正金銀行ハ海外ヲ経理シテ。。。」と松方蔵相は説いた。創設時からして海外の拠点のほうが多かった。もちろん海外への窓口横浜が本店であった。外銀の為替業務独占を阻止するためでもあった。
今なら 成田正金銀行か 成田正弗銀行と名づけられたであろう。

 「ちょっと固くなったので柔らかい話。 永井荷風― ジョンレノンーユーミン」

横浜正金銀行には文化人も多かったようだ。フランス物語の永井荷風や、石川啄木が借金を申し込みに来た登山家の小島鳥水など。また行員よりその子息が自由人というか個性的な人がいる。現地の教育を受けたからであろう。それぞれ父親が取締役であったジョンレノン夫人の小野ヨーコさんやユーミンのご主人の松任谷正隆氏である。帰国子女ということで独特の雰囲気を醸し出している。一味違うが彼らにとっては普通なのだろう。
 
参考文献
「横浜正金銀行全史」 東洋経済新報社
「横浜正金銀行史」 坂本経済研究所
「横浜正金銀行」 土方晋 教育者
「両大戦間の横浜正金銀行」 日本経営史研究所
「横浜散歩」 山川出版社
「横浜 歴史の街角」 横浜開港資料館編 神奈川新聞社

(以上で戦前の介入の項、終わり)

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