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2009年9月29日 (火)

藤井さんの1930年相場3 最終章

「藤井さんの1930年相場3 最終章」

藤井さんはやはり1930年も生きていて当時の1ドル3円4円が円安と言われていたので

今の80円でも超円安と映るのだろう。

 (さて続きの最終章である)

当時の三井銀行 常務池田成彬や三井物産は批判されて事情を説明している。見越し買い(思惑的買い)ではなくやむを得ず送金する需要があったと。

 収益的にはドル買い手に対し暗殺も行われるほどの殺伐とした世相に考慮し、その期の決算は有史以来の欠損としているがこれは、金利急騰での債券評価損やポンドの下落をあげている。しかし翌期からは収益が回復し続けているのはやはり収益操作であったといえよう。

 逆に統制売りで損失を出すと見られた横浜正金銀行は例年通りの収益を出している。  ロシア帝国預金5800万円に消滅時効を適用したり、英国ポンド売りでの利益、また債券の価格下落は持値で引きなおした。

 このように金解禁前後ではすさまじい為替市場での攻防があり、人の命を奪うほどにもなるほどの混乱に陥り軍部の台頭となる。(藤井さんはこのあたりを恐れている)

 今と比べるともっと大きな世界史の事象で相場は揺らいでいた。「統制売」(現在の介入)も一時的には流れを止めることが出来るが大きな世界政治、経済史の流れでは微々たるものだ。 相場は結果でしかない。現在も相場を動かすのではなく、その原因を正すようにしてもらいたい。今で言えば、購買力平価が高すぎるのだ。すなわち国内物価が高いのだ。(公共事業のコストは民間の1.7-2倍と言う。高速道路、市営地下鉄が高いはずだ。)それを下げるまでは介入を休まず続けるべきだ。

また当時の銀行の決算も諸事情勘案の上 繰り延べや原価法が柔軟に取り入れられていた。
現在もそのようだ。

 介入を行っていた横浜正金銀行は「日本銀行ハ内国ヲ経理シテ正金銀行ハ海外ヲ経理シテ。。。」と松方蔵相は説いた。創設時からして海外の拠点のほうが多かった。もちろん海外への窓口横浜が本店であった。外銀の為替業務独占を阻止するためでもあった。
今なら 成田正金銀行か 成田正弗銀行と名づけられたであろう。

 「ちょっと固くなったので柔らかい話。 永井荷風― ジョンレノンーユーミン

戦前の介入銀行の横浜正金銀行には文化人も多かったようだ。フランス物語の永井荷風や、石川啄木が借金を申し込みに来た登山家の小島鳥水など。また行員よりその子息が自由人というか個性的な人がいる。現地の教育を受けたからであろう。それぞれ父親が取締役であったジョンレノン夫人の小野ヨーコさんやユーミンのご主人の松任谷正隆氏である。帰国子女ということで独特の雰囲気を醸し出している。一味違うが彼らにとっては普通なのだろう。
 
参考文献
「横浜正金銀行全史」 東洋経済新報社
「横浜正金銀行史」 坂本経済研究所
「横浜正金銀行」 土方晋 教育者
「両大戦間の横浜正金銀行」 日本経営史研究所
「横浜散歩」 山川出版社
「横浜 歴史の街角」 横浜開港資料館編 神奈川新聞社

これでこの項目「藤井さんが生きた1930年の為替」は終わりです

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